以前よりフランクロイドライトという建築家が好きだった自分は急に思い立ち、日帰りで兵庫県西宮市にある甲子園会館(武庫川女子大学)へ行ってきた時の記録です。
その後の兵庫たびに続きます。
甲子園会館というのは正確にいうとライトの弟子、遠藤新が設計を受け継いだライト式の建築物で、甲子園ホテルとして利用されていましたが、昭和40年に武庫川学院が譲り受け、現在は甲子園会館(ダンスホールなどもあり、生涯学習の場としても)・建築学科の校舎として使用されているとのことです。
見学は無料ですが、完全予約制で、見学できる日も決まっています。
以前、「美の巨人たち」(テレビ東京の番組)でやっていたのを観てからずっっと訪れたいと思っていました。
見学予約も、新幹線の切符をとったのも三日前。
思い立ったら行動できるもんですね。
朝6時くらいの品川発の新幹線にのり、新大阪で乗り換え、甲子園口駅で降り、水路沿いの道を歩く事10分くらい、甲子園会館に着きました。すでに9時すぎ。
↑洋風な建物ですが、松がマッチします。
この日の見学者は10人くらい。大学の職員さんらしき人がきちんと説明をして学内を歩いてくれます。
トランクを持っている人もいたので、遠方からの見学者も多いんでしょうね・・。
ディテールがすばらしい外壁です。
これまで何度かドラマの撮影にも使われたそうです。
(田村正和さんが座ったとかいう椅子もあり・・・)
自然も豊か。ホテルだったというだけあって、庭園みたいに手入れされています。
↑タイルひとつひとつが細かくて.見ているだけで感心してしまいますね。
お金がかかりすぎて問題になったとの説もありますが。
↑これはダンスホールの柱。どこもかしこも豪華すぎる・・。
基本的に大学の行事でダンスホールを使用している場合には見学できないことになっているのだとか。ダンスホールが観られないと意味ないということなのか・・。
↑バーだったところ。現在は学生用の画材売り場になっているそうです。
奥にあるのは画材が陳列されているショーケースです。
コピー機なんかも置いてあったりして・・景観を損ねるというかなんというか。
館内のエレベーターも新しくていささかガッカリ。(消防法とかいろいろあるんでしょうけど。)
暖炉。今は実際には使われてないのでしょうけど、火をくべても大丈夫なんでしょうかね・・・?
↑ホテルで使用されていた食器。
なんでも近所の方が捨ててあったものを当時拾って、その後、寄付してくれたのだそうです。もうこれしか残っていないのだとか。
↑打ち出の小槌のレリーフ。日本的な意匠がところどころ。
・・・なんだかんだでお昼前くらいまで甲子園会館に滞在していました。
花見の時期など、特別見学会やライトアップもしているようですので今度は時期をねらって訪れたいと思います。近所だったら頻繁に来たいくらい。
建築学科の校舎としても使用されているだけあって、館内には建築模型みたいなものも飾ってありました。歴史ある建物で勉強できるというのは幸せですね・・。
職員さんの「福山のCMで映っているのもライトの建物ですよ。皆さん気がつきました?」という言葉が印象的。
(今は放映されてませんが、キューピーマヨネーズのCMで、福山雅治の背景にライトが設計した「落水荘」という建物が映っていたという意味です)
落水荘はアメリカですが、一度は行ってみたいですね。。
新幹線の時間までかなり余裕があったのでふたたび大阪駅までもどり、梅田へ。
地下鉄で千里中央まで行き、モノレールに乗って万博記念公園へ行ってきました。
駅のテーブルで梅田で購入したイカ焼き(阪神百貨店?だったと思う)を食べてから歩道橋を歩きます。
公園の前には大きな道路が走っており、鼻のかかった女性の声がスピーカーから
「ジュターイ、ジュターイ、ツイトツ・チュウイ!」とずっと流れていました。
券売機付近にいた係員のおばちゃんも「あれ、耳障りよね〜」とポツリ。
↑実際に太陽の塔を見るのは10何年ぶり・・。いつ見ても異様な感じがします。
前回訪れた時にはほとんど人影がなかったのですが、周辺には売店も増え、券売機も新しくなっていたりしているし、来場者も多い。昨年は岡本太郎生誕100年で展覧会もやっていたし注目しなおされているんですかねー。
天気のよい時に写真はさんざん撮ったので、さらりと周辺を歩いて太陽の塔は終了。
だいたいの人は太陽の塔を見て終わってしまうらしいのですが..ちょっと足をのばして芝生で遊んでいるチビッコたちを横目に今回は公園内のEXPOパビリオンへ向かいます。
↑入り口におおきな万博のシンボルマークが光っています。
↑当時のポスター。あまり古くさくみえないのはなぜなんでしょうかね。
↑入場券や看板なども展示されています。
自分は万博の時はまだ生まれていなかったですが是非とも行ってみたかった・・。
↑ガスパビリオンの模型。これも太陽の塔とともに残してほしかったです。
↑ちょっと暗いですが会場入り口の模型。
こういった感じのものは以前、科学博物館(上野の)の企画展でも展示されていましたね。
↑岡本太郎氏の作品。座る事を拒否する椅子?だったと思います。
当時の自転車とかも飾ってあったんですが、なんといってもこの電波時計にびっくり。
この当時からあったんですね---。普及するのが遅くない?と思ってしまう。
出口付近で太陽の塔修復時に張替えられた赤いタイルのかけらが販売されているのを発見・・。しかし利用のしようもないので買わずに出てきてしまいました。
万博記念公園は今や、隣接する遊園地も無くなりましたが、周辺にすんでいる子供たちの遊び場になっているようです。(芝生がけっこうあるし、遊具がある広場もある。)もちろん太陽の塔を見にくる岡本太郎ファンの方々も多数。
個人的にはもう少し万博の面影を残してほしかったと思います。
ガスパビリオンとか復刻してくれないものでしょうかね・・。
まあ太陽の塔もなぜ残ったのか、今となっては誰も理由がわからないとテレビで言っていましたが。。
帰りに梅田にて神宗という店の塩昆布(正確には佃煮らしいが)と、新大阪にて551蓬萊の肉まんを購入して新幹線ホームへ。
ホームでドクターイエローが見られたのがラッキーでした!!(速過ぎてカメラを出す余裕さえなく・・・)
兵庫・大阪日帰り旅はここまで・・・。
兵庫たび(芦屋・長田・三宮付近)に続きます。