佐渡島たびの続きです。
たらい船に乗った後、再びタクシーに乗り、宿根木(しゅくねぎ)へ行きました。
ここは江戸時代に回船業の集落として発展した「千石船の里」で、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
自分もよく解っていませんでしたが、千石船とは木造の巨大な船のことで、米を1000石積めるくらいの能力があったので「千石船」と呼ばれるようになったとか。
米1石で1000合分とのことなので、1000石だと・・・かなりの量。
JR東日本 大人の休日倶楽部 佐渡篇 吉永小百合 - YouTube
↑全国放送ではないのかも・・個人的にはJRのCMや駅のポスターで宿根木という場所はちょっと気になっていました。
↑入り口はここなのですが・・この日、案内してくれたガイドさんに連れて行かれ、
↑世捨小路(よすてこうじ)という横道から入ることに。
名前の由来ははっきり解らないそうです。
洗濯物が干してあったりして・・もちろん今でも住んでいる方がいらっしゃいます。宅配便のお兄さんもここをすり抜けていきました。
蘭学者、柴田収蔵の生家もあり・・。柴田収蔵は医学や天文地理学も学び、世界地図も書いたりした人らしいです。
↑帰り際、集落全体を反対側から撮影。
こうして見ると、かなり密集した町並みです。
↑幾つか公開民家がありましたが、既に閉館。。
この清九郎(せいくろう)は船主が建てた家で、材料・技術ともに最高水準、と書いてありました。「清九郎」というのは持ち主の名前でなく屋号です。
集落の中にはカフェなんかも。ですが16時には閉店。
民宿も存在しますが、素泊まりのみなのだとか。
↑三角家(さんかくや)。
吉永小百合さんのポスターはここで撮影されたもの。
公開日が決まっていまして、この日は入れませんでした。
↑郵便局だったところ。
↑ここは近年まで郵便局だった建物。簡易郵便局だったんでしょうか。。
↑宿根木公会堂。この日はなにやらお祭りだったようです。
↑白山神社。この右奥に称光寺(しょうこうじ)というお寺と墓地もあります。
海へ繋がる称光寺川という川が流れておりまして、↑蟹が生息していたり。
↑ここは伊三郎(いさぶろう)。
船乗りの親子が建てた主屋。姓は「石塚」だったので「石」の文字を透かし彫りにして軒下飾りを造ったらしいです。
称光寺からかなり石段を上ったところには千石船展示館がありますが、この日はもう夕方だったので行けずじまい。宿根木一帯を全て見学するにはもっと早い時間にくるのがベストのようです。もう少し、堪能したかった。。
宮大工は神社の修復などで現代でも仕事があるけれども、船大工はだんだん減っているとのことでした。
↑ガイドさんに微妙な色のタオルをもらいました。
右側のトキストラップは翌日に乗ったバスのガイドさんに貰ったもの。
宿根木から少し離れたところにある↑人面岩と日本海の夕焼け。
人面岩は角度によっては人の横顔に見えるそうです。
この日はこのまま宿に。
つづく。。