11月の終わりのこと。
新聞で旧・千葉県血清研究所の赤レンガ見学会があるという記事を見つけ、出かけてきました。
↑ひこうき雲と銀杏が綺麗・・。
江戸川沿いの学校がひしめきあって建っている地帯に2002年まで血清研究所がありました。この付近にダンボ系な母の実家が昔ありまして、自分も研究所に敷地としては隣接する公立中学を卒業しており、血清研究所の存在は知ってはいたものの・・
※血清研究所は廃止されている施設なので、WEB上の地図には載っていません。
聴覚支援学校は校舎とグラウンドが離れていて、歩道橋みたいな通路で行き来するようです。
「あそこで動物の死骸を焼いているらしい」とか変な噂が当時の中学校では飛び交っていまして・・そもそも血清研究所の意味を解っていませんでした。簡単にいうとワクチンを研究・製造していたところです。
血清研究所も含め、この辺りはもともと陸軍の施設があった場所。
赤レンガの倉庫はその当時、武器庫として建設。明治30年代の建物らしいとか、明治の初めのころだとか・・いろいろ諸説あります。
戦後、血清研究所が移転してきた後は薬品倉庫として使用されていたそうです。
血清研究所が閉鎖された後、赤レンガも含め施設をどうするのか決まらないまま、遊休資産として放置されており・・現在は「赤レンガをいかす会」の皆さんが県職員立ち会いのもと、年に1回見学会を実施。2007年ころは隣の聴覚支援学級の敷地から眺めるだけの見学会だったそうです。
新聞に載っていたとはいえ、けっこう不便な場所なのであまり人は来ないのでは?と思っていたら・・
10時前だというのにこんなに人が!
このレンガはフランス積み形式。
屋根瓦が東日本大震災で損傷してしまったため、養生シートがかかっています。
かなり傷んでいますが、行政はなかなか動いてくれないのだとか。
屋根のシートも2014年になってようやくかけられたもの。
暗闇のなか、階段を昇り・・建物の2階へ。
段ボールなどは血清研究所の倉庫だったころのもの。
職員が卓球の練習をここでやっていたこともあったとか。
↑これは帽子などをかけるフック?軍の施設だったころの名残。
↑裏から入ると1階の倉庫が見学できます。臨時でライトが置いてありました。
↑赤レンガについてのパネル展示も。
昭和の中ごろまではもう一棟、赤レンガの建物があり、事務棟として使われていたそうです。
見学会は無料。寄付の意味をこめてガイドブックと手作り感たっぷりなポストカードを購入しました。ガイドブックには赤レンガの歴史、職員だった方や識者が文章をよせています。なかなか興味深い・・。
赤レンガ以外の施設も血清研究所時代のまま残っています。
ダンボ系の母の知人はここでアルバイトをしていたとか。業務内容は知りませんが、バイトにしては高給だったらしいです。
廃墟感たっぷり。渡り廊下も錆び付いているけれども・・大丈夫なのだろうか。
埃まみれの黒電話を発見。最後まで使っていたとは思えず・・。
タイムカードを入れるラックなんかもそのままでした。
守衛室?みたいな場所にはチャンネル式のテレビが!!
軍艦島のように誰もいなくても荒れてしまうものなのか?と思いつつ・・。
手入れはされていないものの、山茶花が綺麗。
↑この看板はバス通り沿いの県立高校の塀に取り付けてあったような記憶が。
赤レンガも含め、これらの施設を文化的な施設に生まれ変わらせようとする動きがあります。文化的な施設はともかく、個人的には綺麗に保存してほしいと思うのですが・・・行政の壁はなかなか厚いようです。重要文化財とか世界遺産までとはいかなくとも、県選定歴史的建造物ぐらいにはしてほしいもの。
このままだと廃墟マニアの聖地になってしまう。
※通常は立ち入り禁止。入れるのは年に1回の見学会の時だけです。
本日はここまで