宮古たびの続きです。
※携帯で撮影。
浄土ヶ浜で船に乗った翌朝、宿から外を眺めると雲海のようにモヤっとしていましたが・・次第に晴れてきました。
前回も書きましたが、特に震災に関する場所へ行きたかった訳ではありません。
この日は別のタクシーコースで観光。
もともと予定に組み込まれていた、田老地区へつれって行ってもらいました。
震災の記憶を風化させないためにも、この辺りを見学した人はブログやツイッターに画像をあげてほしいらしいので・・自分が見たままを載せます。
この辺りは津波の被害がひどく、防潮堤がかなり壊れています。
↑写真右(海側)奥に見えるのはワカメなどの加工場。
防潮堤の陸側は住居を建てないことになったそうです。
写真には写っていませんが、野球場や、どこかの大学が建てたというサッカーボールみたいなテント、これからオープンするというコンビニが建っています。
宮古市の瓦礫は石原元都知事がわりとすぐに片付けてくれたとか。普通に聞いているととても良い事のように思えますが・・宮古の瓦礫は福島と違い、安全な瓦礫だったからではないかと。。。
宮古駅附近にも津波は来たそうですが、あまり被害のあとは見られなかったので、だいぶ復興も進んでいるのかと思っていました・・田老まで来ると、復興もまだまだだと思わずにいられませぬ・・。
↑この貯氷施設の右端に印してある黄色い表示は過去にきた津波の高さを示しています。
一番上が平成(東日本大震災)、二番目が明治の津波、一番下が昭和の津波です。
↓少し離れたところにある、たろう観光ホテル(昭和61年建設)だった建物。
現在は震災遺構で、市の所有になっています。
4階まで浸水、2階までは柱のみしか残っていません。
事前に防災ガイドなどのツアーに申し込めば、内部も見学できるそうです。
震災当時のままという訳ではなく、ある程度片付けられており、遺構にする際には防錆工事のようなことも施してあります。3月に終えたばかりのようです。
震災時、お客さんや従業員を避難させ、社長一人で残り、屋上付近から撮影した動画が残っているとか。この動画かどうかは不明ですが、マスコミには公開していない映像を防災ガイドに参加した人は見られます。
現在、少し小規模になったものの、たろう観光ホテルは高台に再建。名前を変えて営業中。
南三陸町と違い、すんなりと?震災遺構になったのは、ここで誰も亡くなっていないから、とタクシーの運転手さんは言っていました。
少し丘をのぼり・・
↑これはテレビにも出演した、現在90歳すぎのお婆さんが詠んだ詩。
三王岩が見える場所。三王園地展望台というらしい。
↑中央にあるのが男岩。左端が女岩、右が太鼓岩。
男岩の下の方に穴が・・これは向こう側まで突き抜けています。
展望台からでなく、浄土ヶ浜みたく船に乗って見学できればいいのに・・と思っていたら、どうやら震災前は遊覧船のようなものがあったのだとか。
この附近、まだまだ仮設住宅や復興住宅も目立ち・・いろいろ考えさせられます。
宮古たびはつづく・・。